社寺の建築を専門とする宮大工。建物の建築だが、美術工芸品をつくるような気持ちで造るのが宮大工だという。そんな宮大工の一人である浅草屋工務店(名古屋市西区枇杷島 1の6の51、電話 052-531-5875)の二代目・杉村幸次郎さんに話を聞いた。杉村さんは中学を卒業して、先代である父親の下で仕事を始めたという。

材料が大きく、建てるものの規模も大きいので、一人で扱えないことが多いのが宮大工の仕事。それぞれが分担して、一つ一つのパーツを作る。材木を作業場で加工して柱や梁などの部品にして、現場では一気にみんなで組み立てていく。そのためチームワーク、人間関係をいかにうまくこなしていくかが、最も難しいところだという。いくら技術がうまくてもチームワークが悪ければ、仕事を進められないのだ。
社寺建築はもともと時代の最先端の技術でした。お金も使い、新しい技術を取り入れ、日本の建築関係をリードしてきたんです。技術的には確立されていますが、“古い伝統的なもの”という意識はあまりありません」と杉村さん。むしろ、確立されている技術を100%使いこなすところまで、なかなか行き着かないという。常に自分で考え、本当に役に立つと思えば、新しいことでも取り入れている。
手描きだった図面も、20年ほど前からCADを使うようになった。杉村さんはメガネ無しでマニュアルが読めるうちに覚えようと、独学でCADを覚えた。

また、以前は20〜30代の職人が4〜5人いたが、3年ほど前に解散した。今は大きな仕事が入ると、その時に何人か若い人を集めるという。杉村さんはこれまで24人の弟子を持ったが、22番目は台湾人、23番目はドイツ人だった。そして24番目の弟子は、大工の技術書について研究している女子学生だったとのこと。

11年前、杉村さんは「削ろう会」という会を発足した。鉋(かんな)で木を削るということだけを目的に始めた会だ。会員は大工や木工職人だけではなく、木工を趣味にしている素人も含めて、木を削ることを面白いと思った人たち。現在、登録会員数は全国で1.100人ほどだが、実際の参加者はもっと多いという。アメリカにも150人ほどの会員がいる。在米日本人ではなく、アメリカ人の大工だ。そしていかに薄く、きれいに削ることができるかという大会を開いている。
薄く、きれいに削るためには、それができるようカンナの刃を研ぎ上げ、台の調整をしなければいけない。

ただ、薄く、きれいに削るだけのことだが、奥が深く、難しいのでいつまでも続けられるのだという。「自分への挑戦です」と杉村さん。それだけ薄く、きれいに削ると、削られた木もツルツルに輝き、周囲の景色が映るほどだ。
今年の10月には関市で大会が行われ、アメリカからも37人が参加した。大会はアメリカやドイツでも開催している。
最初は全くの遊びで始めたが、最近は技術の伝承にも取り組もうという会員もいるとか。
実際、若い職人にとっては、ベテランの職人と接して勉強できる場にもなっているという。
http://www3.ocn.ne.jp/~tac7/kezuroukai.htm
「削ろう会」について
「削ろう会」が誕生しました。名古屋の浅草屋工務店の杉村幸次郎さんの提案と、青山鉋店の青山駿一さんの後援で97年(平成9年)2月22日と23日、大工さん、工芸家、木工家、その道具を作る人、刃物を甦らせる砥石の研究家と売り手、大工道具と砥石を扱う腕に覚えのある方々が集まってこの会が産声をあげました。心からお祝い申し上げます。 (一部省略)
この会は台鉋を使って、出来るだけ薄く、出来るだけ幅広く、出来るだけ長い、鉋屑を出そうという興味深い集いです。 単に「木を薄く削るだけのこと」といえばそれまでですが、その行為で生まれる木肌の感触は、日本人が忘れてはならない高度な文化を秘めているのです。『美に奉仕』する鉋は、古くから大鋸と共に刃物工具の王様といわれてきました。「削ろう会」に参加していただいた方々は、年配の方も若い方も手練の技を持ち、営々と築かれて来た日本の文化を守り、その技を高度に習得して次代に伝えようとする、貴重な志と使命を秘めた方々であると思います。
またこの会は価値の持続とモノの永続性について大きな意義を持っていると考えられます。先に述べた環境問題の将来に対する、ある答えを秘めているとさえいえるでしょう。「削ろう会」は単に10ミクロンの削りの実現に技術を競うのではなく、日本古来の優れた文化と資源を守りひいては人類の生存を守ることに繋がります。
木の魅力を根底から発揮する鉋削りの技術をおおいに磨いて、その輪を広げ、この会が中京の地に止まらず、趣旨が日本各地に広く認識され、大きく貢献し発展することを祈念しています。
「削ろう会」会報第一号(1997.3.30発行)の巻頭のことば
「削ろう会発足に寄せて」1997.3.11 松田 豐氏の原稿の中から一部抜粋。

■ プロフィル 松田 豐氏
1929年8月27日大阪市生まれ。1951年京都市立美術専門学校工芸図案科(4年制)卒業/繊維商社をへて1961年合繊メーカー東レ鞄社/1987年退社まで、色彩企画・ファッション企画・商品企画の色彩デザイン専門職として勤務/この間金沢美術工芸大学・東京芸術大学非常勤講師を兼務。
現在、大阪樟蔭女子大学非常勤講師/1995・96年奈良市工芸フェスティバル実行委員長/奈良デザイン協会会長/日本色彩学会名誉会員。